渡辺篤史の建もの探訪ー細長敷地に和モダンの曲がり屋(岸本和彦・acaa)

ユーザー 建もの探訪ファン の写真
建もの探訪ファン
感想: 

いよいよ甲子園も決勝。
ツクツクホウシが鳴きはじめて、梨もたくさん店頭に並ぶ。
 
そこかしこに季節の代わり目を見つけるから、やり残したことがたくさんある気がしてどきどきしてしまう。
どれもまだまだ食べたくて欲張って買ったものだから、冷蔵庫は夏野菜で珍しくパンパン。
 
恵みににんまりする季節がすぐに来るのに、行く夏を感じるのはやっぱり寂しい。
 
            ◇ ◇ ◇
 
今回の建ものは「細長敷地に和モダンの曲がり屋」。
http://www.tv-asahi.co.jp/tatemono/backnumber/#!/2014/23
家の中に露地がある家。
 
            ◇ ◇ ◇
 
「バッハを尺八で吹くような、民謡をエレキギターで爪弾くような相性のよさ、、」
「和」を現代の生活に溶け込ませたこの建ものの様子を、渡辺篤史さんは、そんなふうに表現されていた。
とても印象的だった。
 
エントランスの格子戸をくぐると、敷き瓦というものが中庭から玄関を通って北側のお部屋まで導くように敷かれている。
そんなお家の中の「露地」を進むと、静けさを体にしみ込ませるような心地よさがある。
抑えられた光。庭の木々を通ってきた木漏れ日がゆらゆらとする。
玄関から階段を上がると、ぱっと北の間が広がる。
瓦敷きの部分は、「玄関」が改めて据えられているような空間。
骨董の箪笥や壷が飾られ、一段高くなった畳の4畳半とともに、
「いつでもお客様を迎え入れる準備はできています。」
とでもいうように、部屋は澄ましている。
 
そんな北の間を通り抜けてさらに階段を上がると、右手に庭を見ながらキッチンとダイニングに入る。
やはり露地を進んでいるような、お庭を散策しているような気持ちになる。
進むごとに順繰りに目に入ってくるものを楽しみながら、じっくりと空間に馴染んでゆく。
ぱっと庭や部屋の全貌が見渡せる爽快感とは違う面白さがある。
 
間口が狭く奥行きのある”ウナギの寝床”形の敷地には、敷地の外のことはすっかり忘れてしまうような、ひとつの宇宙が広がっていた。
 
                    ◇ ◇ ◇
 
北の間にある和室以外に畳があるわけれでも障子や襖が配されているわけでもない。
それでも、和が確実にある。
「和」が持つ静けさや潔さ、変化のある景色の楽しさがぎゅっと詰まっている。
 
こういう空間が「日常」になる。
くたびれて帰ってきた日も、腹立たしいことがあった日も、格子戸を通り、家露地をつたって居間に向かえば、居間で「ただいま」をいう頃には心身ともに浄化されているかもしれない。
毎日、露地を抜け格子戸を出る頃には、「よし!」と頭もクリアかもしれない。
 
しかし、実際のところ、使い勝手という面ではどうなのだろうか。
小さなお子さん二人のあるご家庭だけれども、今は大きなベットがすぽっと入れられた小さな寝室が一つ。
4人家族にはすぐに小さくならないかしら。
洗濯物や布団を干せる空間は十分にあるのかしら。
子供のものや本棚が目に入らなかったけれど、どうしているのかしら。
半土間の玄関のような北の間は、冬はきっと寒いと思うのだけれども。
木のお風呂って、お手入れしにくいのじゃないかしら。
油とんだり熱かったりしそうだから、開放的なガス台の前の通路は通りにくいのじゃないかしら。
 
限られた広さで暮らす不自由さ。
潔い和を大切にするためのやせ我慢。
日常のそういうことも、いろいろ聞きたい。